呉座勇一さんの『戦国武将、虚像と実像』を読みました。
戦国武将のイメージはどのように形成されたか
呉座勇一さんの新刊『戦国武将、虚像と実像』という本を読みました。
この本は戦国武将について一般的なイメージ「大衆的歴史観」がどのように形作られたかを解説した本である。
世間一般の人が抱く「日本の歴史はこういうものだ」という認識、つまり「大衆的歴史観」は、専ら歴史小説や時代劇といった娯楽作品を通じて形成されてきた。
この本を読むと戦国武将に対して私たちが抱いているイメージが意外と新しい時代に形作られたことがわかる。
秀吉は人たらし、家康は狸親父といったイメージが世間一般に広く流通している。これはまさに「大衆的歴史観」である。 だが、そうした人物像は必ずしも固定的なものではない。昔からずっと同じイメージで語られてきたわけではなくて、時代ごとにイメージは変わっている。
取り上げられているのは、明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繁(幸村)、徳川家康です。
本書を読んで、中でも現代人が戦国武将に抱くイメージへの影響が大きいと思ったのは徳富蘇峰の『近世日本国民史』と司馬遼太郎。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』は歴史小説やドラマの種本として活用されてきたそう。
司馬遼太郎は数々の小説とともに「司馬史観」と呼ばれる歴史観が広く知られています。
筆者は明治以後だけではなく、戦国武将についても司馬遼太郎の作品によって広まったイメージが「大衆的歴史観」に影響を与えたという。
戦国武将たちが実際にどのような人物だったかはともかく、そのイメージは受け手側の時代の求めに翻弄されてきたといえるでしょう。
織田信長が朝廷を再興した勤王家から朝廷の権威に挑戦した反逆者と変わったように。
その意味では「大衆的歴史観」の影響を取り払い、素のままの武将の姿を知るのは意外と難しいのかもしれませんね。
まとめ
ネットやテレビなど歴史系、特に戦国武将のコンテンツは人気があります。
実像とは違った「大衆的歴史観」に基づく戦国武将のイメージは今も再生産されていると言えるのかもしれません。
戦国時代に興味を持つ人には面白く読める本です。