江戸時代に関心あり
最近江戸時代に興味を持ってよく本を読んでいます。
その流れでこの本を手にとってみました。
野村玄さん著『徳川家光』です。ミネルヴァ書房の日本評伝選の一冊です。
どうして江戸時代に興味を持っているのかという話ですが、一番興味があるのはどのようにして徳川家が盤石の地位を確立したかについてです。
征夷大将軍は武家の棟梁としての立場ですが、当時は将軍は足利家の家職として認識されていたのではないかという話をどこで読みました。
その意味でこの本も面白そうなんですよね。今度読んでみます。
三代将軍家光とは
さて、本題。
幕府の権威を確立するという意味では三代目の将軍である家光が重要ではないかと思います。
それは武力を持って武家の棟梁になった家康、その後を継いだ秀忠とは違い戦場での経験がなくより権威が大事になると思うからです。
家光といえば「生まれながらの将軍」という言葉が有名です。
しかしこの言葉が家光のものである確証はない模様。「我等は固よりの将軍に候」という文は史料にあるみたいです。
この本で初めて知ったのが以下のツイートの部分。
ミネルヴァ書房の『徳川家光』に書いてあった話。家光が大名を一人一人茶室に呼び、刀を下賜。その場で中を改めるよう命じたとのこと。あまりのことに大名は辞退できず震え上がったらしい。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年1月5日
それまで(先代秀忠まで)君臣関係があいまいになることもあったが、家光が大名を茶室に一人ひとり呼び、刀を下賜して刀身を見るように命令してあまりのことに大名が自体できず汗をかいて震え上がったとの逸話です。
この話は史料から確定できていないものの事実だとしたら面白いですね。
もう一つ興味深かったのは薩摩藩主島津光久の逸話。
薩摩藩主島津光久が家督相続の御礼のために拝謁し退出したところ家光は再び光久を召し出し、親しく話しかけたという。さらには同席した家老にも言葉をかけた。
このことに島津光久、家老は感激のあまり涙したということです。
この辺りの話は最近読んだ『徳川将軍家の演出力』に興味深いことが書いてありました。
江戸の秘密は将軍にあり?『徳川将軍家の演出力』 | つぶログ
江戸城は完全に演出された空間で国持大名でも公式の場では将軍に直答することはできず、姿を見ることもできなかったそうです。
これだけの権威を確立したのが家光の代ではないかというのが本書を読んでみての感想です。
幕府の職制が整備されたのも、参勤交代の制度が固まったのも家光の代。
代替わりの時には30万人もの軍勢を率いて上洛した際には太上天皇に准ずる扱いを受けたといいます。
この辺りの立場は当時徳川家が天皇家と縁戚関係にあったこともあるのではないでしょうか。
まとめ
本書は新書のような入門的な位置づけではなく本格的な評伝です。
教科書では軽く触れられるか、流されていることもしっかりと記述されていて家光のことを知りたい時には必ず戻ってきて参照したくなる一冊です。
当時の公武の力関係など政治的なことも学べるので面白いです。