去年滋賀県の小谷城に行ってきました。小谷城は憧れの城のひとつでずっと行ってみたかった城でした。思いが募り、思い切って行ってみました。
行った結果は、最高でした!これまで行った城はそんなに多くないですが、1番好きかもしれないですね。
今回はそんな小谷城のポイントを自分の備忘録としての意味も含めて振り返ってみたいと思います。
小谷城の歴史
小谷城は近江の戦国大名浅井氏3代の城として有名です。
もっともよく知られているのは最後の当主浅井長政でしょう。
信長の妹お市を娶り、同盟をむすんでいましたが、信長が朝倉攻めをしているときに裏切り、対立の関係に入りました。
信長包囲網の面々と連携し、数年に渡って信長を苦しめました。
しかし、小谷城を囲まれます。朝倉軍が援軍に来ますが、信長はこれを破り、追撃し、朝倉氏を滅亡させます。
長政は最後まで抵抗しますが、小谷城は落城します。
小谷城は浅井氏滅亡後、廃城となりその歴史を終えます。
その後北近江を与えられたのは、羽柴秀吉でした。
小谷城からは有名な姉川の合戦場を見渡すことができます。

真ん中に見えるのが横山城です。
姉川の合戦はこの城を囲む織田・徳川連合軍と救援に向かった浅井・朝倉連合軍の戦いでした。
最寄り駅
小谷城の最寄駅は河毛駅です。

ぼくは長浜駅から行きました。
河毛駅から小谷城は歩くと結構距離があります。
駅で500円で電動自転車を借りることができるので、借りることをおすすめします。

ぼくが行った去年の夏は大丈夫でしたが、もしかしたら全台貸出中という可能性もあるので聞いてみてください。
駅の方は親切で北近江の歴史についていろいろ教えてくれました。
この辺からは賎ヶ岳の合戦場も割と近いですね。もっとも見るとしたらかなり時間がかかります。
小谷城のデータ
データ
小谷城は標高495.1メートルの小谷山の山頂から尾根上に広がります。
大永5年(1573)に浅井亮政によって築かれました。
落城は天正元年(1573)です。
小谷山の頂上から伸びる主要部、小谷山頂上の大嶽(おおづく)、西に伸びる福寿丸・山崎丸、清水谷の浅井氏屋敷、家臣団屋敷で構成されています。
戦国期の代表的な山城で、浅井氏とともに50年の歴史を刻みました。
100名城のスタンプ
駅から小谷城付近まであっという間です。城についたらまず、小谷城戦国歴史博物館に行きましょう。

日本100名城のスタンプを集めている方は小谷城戦国歴史博物館で押せます。
ここで杖を借りることができます。
小谷城は本格的な登山ほどの装備は必要ないと思いますが、結構山道が厳しいところがあります。
杖があるとかなり登るのが楽になります。
ぼくが登った時は熊出没注意のため鈴が売られていました。せっかくの城巡り、熊と出会ってはどうしようもないので購入。
地図ももらえるので、ぜひ入手してください。
さあここから城への登山道です!

小谷城のポイント
浅井長政自刃の地
追い詰められた浅井長政は天正元年9月1日城内にあった家臣の赤尾屋敷で自刃しました。
この空間はとても静かな感じがして、気持ちが引き締められるような感じがしました。
長政の気持ちを考えると胸がつまりました。

本丸
ここはかなりの広さがあり、城の規模を知ることができます。

京極丸
浅井氏のかつての主人京極氏の屋敷があったとされる場所です。
小谷城落城の時には羽柴秀吉がここを落とし、本丸攻略への拠点にしました。

山王丸
小谷城詰めの曲輪です。
ここにある大石垣は小谷城の見どころのひとつです!

この石垣は、近江が城郭の先進地であったことを示すものです。
虎御前山
小谷城攻めの際の織田方の最前線です。
小谷城からほとんど離れておらず、ここを抑えられることは城の喉元に刀を突きつけられるようなものでした。
ぼくは行きませんでしたがこの山には織田方の陣跡と言われる場所が残っているそうです。

小谷城:JR北陸本線 「河毛駅」 下車
まとめ
念願だった小谷城に行くことができて、とても嬉しかったのをよく覚えています。
浅井氏の隆盛とともに築城され、浅井氏とともに滅んだ小谷城。
北近江の要衝にあり、それだけ信長にとって浅井長政の裏切りは痛かったでしょう。
ご覧いただいたように遺構は少ないですが、曲輪が残っているところもあります。
その物語性は他の城と比べても群を抜いていると言えるでしょう。
戦国時代を象徴する山城、小谷城。ぜひ訪れてみてください!
おまけ
徳勝寺
浅井氏三代の菩提寺です。
城を見に行った翌日お参りしました。

場所:長浜市平方町