織田信長の京都に対するスタンス『信長と京都』

信長と京都 書評

織田信長の最期の場所といえば、本能寺です。

織田信長は上洛し、天下人になって以降も京都に本格的な城を築くことはありませんでした。

そのことに着目した本を読みました。

信長の京都における宿所

図書館に行ったところ、面白そうな本を見つけました。

それが『信長と京都』です。

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信長と京都 | 淡交社 京都の茶道美術図書出版社

副題に「宿所の変遷からみる」とあるように織田信長が京都に滞在したときにどこに宿泊したかについて研究した本です。

信長の宿所として有名なのは「本能寺の変」で知られる本能寺があります。

ぼくは京都一人旅のときに本能寺に行ったことがあります。

本能寺跡

本能寺跡

信長が滞在していて謀反にあった本能寺は現在はなく、少し離れた場所に再建されています。

本能寺の本堂

現在の本能寺本堂

信長は足利義昭をともなって上洛して以降、たびたび京都に滞在しましたが最後まで自分用の城をつくることはありませんでした。

秀吉が聚楽第、隠居城としての伏見城。徳川家が二条城を築いたのとは対照的です。

では、どこに宿泊していたのかというと、本能寺であったり妙覚寺であったりするわけです。

のちに安土に城を構え、早くて1日、ゆっくりと上洛しても2日で京都まで行けるようになっても信長は京都で正月を迎えたことはありませんでした。

これは信長にとって京都は本拠ではなく、岐阜であったり安土こそが自分の居場所であるという認識を持っていたことがわかります。

晩年になるとめっきり上洛の機会も減り、それに合わせて滞在日数も短くなります。

「本能寺の変」は信長最後の唯一の上洛をとらえたものであり、陰謀の入る余地はないように思います。

ただ、京都に防衛機能を持った城があれば情勢は変わっていたかもしれません。

まとめ

信長が京都に最長で3ヶ月ほどしか滞在せず、城も築かなかったのは各地での戦に明け暮れていて京都に本格的な城を持つ必要性がなかったかもしれません。

秀吉、家康が天下統一後に京都近辺に城を築いたのも天下の政治を行うのに都を外すことができなかったからでしょう。

信長ほど有名な人物でもテーマによって興味深い事実が浮かんでくることがわかります。

信長のイメージが変わる!:『マンガで読む新研究織田信長』

織豊期主要人物居所集成 by 藤井讓治

今回紹介した本

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