歴史でも、本でも、音楽でも、古いものが好きなんですが、それって自分の好きなものが見える化されているから楽しいのだと思います。
「もの」は過去を見える化したもの
最近アナログレコードを集めるのにハマっています。
そのほとんどが新譜ではなく、中古で安く買えるものを買っています。
なかには300円とか、400円とかのレコードもあって、定価だったら買わなかったけど、安いから、ジャケットがいいから買う、なんていうこともあります。
レコードは面白いもので、古いものに価値があることもあります。
たとえば、60年代のアーティストで当時リリースした名盤が再発されるとします。
技術は進歩しているし、いまのほうが音がいいと思いがちですが、当時のアナログレコードの音がいいということがあります。
それにはマスターテープの劣化、関わっている制作スタッフなどのさまざまな要因が絡みます。(音の良さは多分に感覚的なものですが・・)
発売当時のものを持っていたいというニーズもありますよね。
このあたりは本でも同じです。
初版本やサイン本をコレクションしている人がいるように、「もの」としての価値は外観上の古さとはまた別のものになります。
たとえば、病気のことを調べたくて何十年も前の本を読む人はまずいないでしょう。
いるとしたら、研究の歴史を調べている人くらいでしょうか。
新しさが絶対的な価値を持つ世界もあれば、古いけど価値がある世界もある。
世界は多様ということはわかりきったことかもしれませんが、時間は過去には進まない以上、過去のことを知るには本なり、モノなりを見るしかありません。
ここに面白さがあります。
過去にはいつでもアクセスできます。つまり、いつでも「面白さ」に触れることができるということ。
アナログレコードでも本でも、言ってみれば「過去を見える化」したもの。それを集めるということは、つまり「自分を見える化」するということに繋がるのだろう。コレクションが楽しいのは自分の歩んできた「好き」が目に見える形でそこにあるからだろう。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年5月4日
まとめ
過去が面白いからといって、なんでもかんでも溜め込んでしまうのは考えものですが、自分の好きなものをコレクションするのは格別なものです。
「もの」はいまここに確実にあります。
それはつまり自分を可視化するということ。
これからも自分の世界を面白がっていきたいです。
photo credit: Zach K Afternoon walk in the Sun via photopin (license)