我「木鶏」のスタートラインにも立たず。

考えたこと

「木鶏」という言葉を時々思い出します。

この言葉の境地に達する日はやってくるのでしょうか。

我未だ木鶏足りえず

「木鶏」という言葉をご存知ですか?

「木鶏」とは闘鶏において、

木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態

という意味です。

もともとは中国の思想家、荘子の書から由来し、昭和の大横綱双葉山が連勝が途切れた際に「ワレイマダモッケイタリエズ(我未だ木鶏足り得ず)」と語ったことで有名です。

まだスタートラインにも立っていない

この言葉を知ってから、時々ふと「我未だ木鶏足り得ず」と思い出すことがあります。

昭和の大横綱とは比べるまでもないですが、まだ「木鶏」の境地の入り口にも立っていないな、と。

戦いにおいて最強の境地に達すると動じることがなく、泰然とした境地に達するということです。

反対に「弱い犬ほどよく吠える」ではないですが、自信がないと少々のことに動揺したり、騒いだりします。

齢三十を過ぎて、ぼくは未だその状態。

倍の年齢を重ねたとして「木鶏」の境地に達するか?

今の年齢の倍の年を重ねたとして、多少なりともまともな心境を得られるのでしょうか。

正直その自信はありませんが、取り組まなければそこまで達することもないでしょうね。

別に武道の達人になるわけではありませんが、「木鶏」のように泰然自若とした様は日常の生活にも役立つはずです。

まとめ

スポーツや武道の世界では言い訳のできない勝負の世界なので、その世界に生きる人の話を聞くとより洗練された思考に触れることができます。

もちろん、会社と勝負の世界は違いますが、どのように自分の生活に活かせるかという考え方をすると楽しみが増えるますね。

photo credit: jpellgen (@1179_jp) Sumo Honbasho (2016) via photopin (license)