今日ふと思いついたことで、なにかを「好き」になるにはコップから水があふれるようなパターンもあるのではないかということがあります。
なにかを「好き」になるには「ゆっくり」というパターンもある
今日、ふと思い浮かんだこと。
コップに徐々に水を注ぐように「好き」になることもあると思っていて。いつかはわからないが、それがあふれた時に「大好き」になる。ジミヘンとかブルースはそのパターンだった。逆にビートルズとかオアシスは初見から好きだった。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年7月30日
人にはもの(人も)を好きになる「閾値(いきち)」、r臨界点」みたいなものがあって、その地点を越えるとそのことを「大好き」になってしまうという。
上のツイートでも書いていますが、いまでは大好きなブルースも聴き始めた当初はなかなかなじめないものでした。
それもそのはず、ストーンズやZeppelinの影響でいきなりロバート・ジョンソンなどから入ったのですから。当然楽しめるはずもなく、でもせっかくのおこづかいで買ったので何度も聴いたり、聴きやすいものからアプローチしているうちに大好きになっていったのです。
音楽や映画を好きになるのも「経験値」みたいなものがあるのだろうな。「古典」とされているものはジャンルを問わず、シンプルなものが多い。歴史書なんかは1語ずつ解釈する必要さえある。自分の中で引き出しを持っていないと楽しめないっていうのはあるかもしれない。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年7月30日
もしかしたら、「人」もそうなのかもしれないし、「映画」そうなのかもしれない。
ブログを毎日書いているのもそういうことなのかもしれません。
なるほど。
"天才たちの日課"より、『私は魂に動かされたときに書く」とフォークナーは述べている。「そして魂は毎日、私を動かす」』 https://t.co/JokORdS0fW pic.twitter.com/7HQo7F9TT4— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年7月30日
いまでは毎日書いているブログも、ここまで続くとは思っていなかったのです。
まとめ
今回の記事とは別にいきなり一目惚れのように「好き」になるものもあって、我ながらなかなか興味深いところだと思います。
科学的裏付けなどはないものの、そのときの自分の経験値、置かれている状況なども関係しているのではないかと。
このブログにはそういうことも書き留めていきたいですね。
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