自分の人生を生きる。世界の流れの中になにかを残すように書いていく日々。

植物園と家族 考えたこと

頭に浮かんだことを一筆書きのように書いてみました。自分の人生を生きるということについて書いてみました。

自分だけの世界

最近はそうでもないですが、昔はよく自分という世界があるのが不思議でした。

自分は自分の目を通して世界を見ているわけで、他人はどんな世界を見ているのだろうと不思議に思っていました。

自分の目では自分の体や顔はよく見えませんが、それがどうにも不思議で。

いろいろと不安定だったからかもしれませんが、そんなことをよく考える日々でした。

歴史上の偉人や、自分の好きなアーティストが同じような仕組みで世界を見ていたのがなかなか飲み込めなかったですね。

人間というものは立ち位置があるわけで、国であったり、職業であったり、年代であったり、家族であったり、そういったものが自分を規定しているのでしょう。

人の数だけ人生があり、ドラマがある。

世界には何十億人もの人がいて、その数だけ人生、ドラマがあります。

しかし、そのほとんどは顧みられることはありません。

SNSが登場し、だいぶ状況が変わってきましたが、普通に違う国にまで影響力を及ぼそうと考えると大変なことがわかるはずです。

当たり前の話ですが、私たちは自分の目を通した世界しか知ることができません。

だから私たちは、人の話を聞き、音楽を聴き、本を読み、映画を見るのでしょう。

芸術作品でも、他人でも、違う視点を通して私たちは世界と接しているのです。

もしかしたら、こうして文章をつづっているのも自分の世界をここに留めていたいという思いなのかもしれません。

ハーバーに立つ男性

photo credit: kadege59 Enkhuizen via photopin (license)

自分の人生を記録したい

過ぎ去っていくような日々でも、文章を書くことで楔を打ち込めるというか、生きてきた証を残せるような感覚を持っています。

人によっては、絵かもしれませんし、写真かもしれません。

体を動かすことかもしれません。

街ですれ違うだけの人の人生を知ることはできませが、それらの人もまた誰かの大切な人であり、自分だけの人生を生きています。

ブログを書くということは、効率的という面では毎日書く必要はないでしょう。

自分のペースで書けばいいし、人によって目指している場所は違うのだから、そこを目指してひたすら書くだけなんだと思います。

ただ、私は今年に入ってからは毎日ブログを書いています。

効率を考えれば愚かなことかもしませんが、ブログを書くことが楽しいということと、自分の思考を留めておきたいからです。

なんでもない1日でも、きっと大切な1日なんだと思います。

球場にいる男性

photo credit: Pastrami Vicar aka Salamander “Noodle” Turgidson via photopin (license)

まとめ

器用に生き方を変えられる人がいます。がむしゃらに自分のやり方を貫く人がいます。

たぶん、どちらが正解ということはないのでしょう。

自分にできることはベストを尽くすことと、文章をつづることだけです。

今までもそうして生きてきたし、きっとこれからもそうだと思います。

photo credit: Stanley Zimny (Thank You for 29 Million views) The Lovers and I via photopin (license)

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