ぼくは本が好きなので、図書館はずっと欠かせない施設でした。しかし、最近図書館を取り巻く状況は厳しくなる一方だと感じています。
文化を保存していくのが図書館
普段文化とは縁遠い本ブログですが、本好き、音楽好きとして門外漢ながら文化を伝えていくということについて考えています。
文化を保存するという一番身近な施設といえば図書館ではないでしょうか。
図書館では本を借りる以外にも、資料を保存したり、レファレンスといって利用者の調べ物の手助けをする業務があります。
文化を伝えていくということを考えたときに中心となるべき図書館ですが、最近ピンチを迎えていると個人的には思っています。
誠に恐ろしいことだが、ツタヤ図書館のような民間委託の図書館がたくさんできたら、日本の文化は破滅する。それは、指定管理が拡大化する博物館も同じ。非常勤職の貧困が蔓延する。営利だけではとらえられないので、地域が辛抱強く支える気持ちが重要なのではないか。
— 渡邊大門 (@info_history1) 2018年6月4日
佐賀県の武雄市にツタヤ図書館が誕生してから、各地に同種の図書館ができるようになりました。
私も高梁市のツタヤ図書館に行きました。
ツタヤ図書館はおしゃれでスタバもあり、勉強したり、ちょっと時間を過ごすのにはとてもいい場所だと思います。
図書館の役割とは
でも、図書館の役割というのはそれだけではない。
新刊の小説を貸出して貸出冊数を伸ばすのと同じくらい、文化を保存して後世に伝えていくという役割があるんです。
地域で出版された資料、関係する資料=郷土資料を保存するのもその役割のひとつです。
ただ、これらの資料はまったく貸出冊数には結びつきません。
図書館を評価する基準はいろいろありますが、取り上げられることが多いのは貸出冊数です。
図書館に郷土資料の担当者がいなくなって久しい。すべて、指定管理のせいである。図書館で郷土資料のことを質問しても、まともに答えられないことが増えた。そういう人材を育成しなかったからだ。対応する職員はまったくの無知で、閉口することも度々。元は普通の一般職で、悲劇としか言いようがない。
— 渡邊大門 (@info_history1) 2018年6月4日
どうにもほかの地域や国のことはわかりませんが、文化をもっと大事にしてほしいと思っています。
図書館の未来は割と暗いと思うけど、いまなら変えられる
ぼくは図書館が大好きです。
紀元前の哲学者の著作から、スポーツから、音楽から、美術から、技術書から、辞典まで一つの場所で触れる施設をほかには知りません。
本が売れたり、カフェで人が来ることは素晴らしいことですが、それは図書館がしなければいけないことでしょうか。
個人的には図書館の未来について割と暗い予想をしています。
日本の現状で予算を潤沢につぎ込むというのは難しいのはわかっています。
そうではなく、もっと基本的なマインドの部分でどうもボタンの掛け違いがあるように思えてならないのです。
ぼくは図書館が大好きな人間ですから自分の予想が外れることを願っています。
でも、歴史的なしっかりとした資料よりもグルメや旅行の本が重視されていることを考えると難しいとも感じます。
知識は過去と未来の人類の財産にアクセスできる鍵だと思います。
知識欠如のため、本を読んでも表面的にしか理解できない、史跡名所や博物館行っても背景が分らないというのは本当に悲しいよね。自分は教養(その実、大半は大学受験+αレベルなのだが)とは、文化財にアクセスするためのガイドブックみたいなもんだと思う。
— オンデンザメ (@eastasianscum) 2018年4月3日
どうもこの鍵を手放す方向に世の中が流れている気がしてなりません。
まとめ
本を借りるだけが図書館の役割ではありません。
自分の考えている疑問についてなんでも図書館司書の人に気軽に聞ける人が増えればいいと思っています。
建物の外観がおしゃれだとか、スタバがあるとか、そういったことは図書館の本質とはまったく関係がありません。
あえて不便にする必要はありませんが、図書館の価値は「人」と「資料」です。
「人」と「資料」があるから図書館です。
このずっと伝えられてきた素晴らしい営みがこれからも残っていくことを望んでいます。
photo credit: University Library of Kyiv-Mohyla Academy In the Library via photopin (license)