職場で聞いた発言により、「学ぶ」ということを考えてみました。
自分たちのやり方と違うやり方
自分たちとやり方が異なっているからといって、相手が間違っているわけではない。ということを感じた話です。
どの仕事でも、趣味でもそれぞれの人、会社、業界のやり方があると思います。
先日、うちの職場の人が同じ分野に関係する人の講演会に行っていました。(仕事の一環として)
ふつうはただ行ったね、というだけで終わるのですが、そのあと気になる発言がありました。
参加した人が「あれはいけない。なんの参考にもならなかった」というような意味のことを言っていたのです。
うーん、ちょっとどうなんだろう?
自分たちが合ってるとは限らない
たしかに講演していた人はうちの職場で“良し”とされているやり方とは違うことを言っています。
要するに自分たちとは“違う”という一点を持って、違うやり方に反発しているわけです。
そもそも自分たちのやり方が本当に正しいかなんて、わからないですよね。
書類の書式などなら間違っていたらダメですが。
違うということはそれだけ学ぶポイントがあるということだし、“違う”ポイントに自分たちがもっと良くなる改善点のヒントがあるかもしれない。
直接聞いたわけではないけれど、少しもったいないと思います。
うちの職場がなにかの伝統技能の宗家で、職場のやり方が流派のスタンダードだというなら、まだ話はわかるのですが。
自分たちと違うと「相手が間違ってる!」と思いがちだけども、自分たちが間違ってる可能性もある。
これだけ変化の激しい時代に何十年前のやり方がそのまま通用はしない。
自分の身を守ろうという反応なのかも。
自戒を込めて。
— つぶあん@つぶログ書店福山 (@ttsubuan) March 10, 2019
まとめ
でも今回のことで人間はどうしても自分たちとは違うやり方に反発するということが実感としてわかったし、自分では何事も虚心坦懐に学ぼうと気づくことができました。
学ぶということは、一生続けなければいけないと思っています。
そのためには余計な制限は少ない方が楽でいいですね。