吉川経家公像:鳥取城前にある秀吉と戦った武将

歴史

鳥取城前にある吉川経家公像を見てきました。

吉川経家公像

仕事の用事で鳥取に来ています。

鳥取といえば、戦国時代は羽柴(豊臣)秀吉と毛利氏との戦い。

織田家と毛利家との戦いで鳥取城で重要な戦いが行われました。

鳥取城は毛利氏に近い武将の派遣を求め、山陰道の責任であった吉川元春が派遣したのが吉川経家です。

物量に勝る羽柴軍の猛攻によく耐えましたが、落城。

吉川経家は城兵の命と交換で切腹して果てました。

鳥取城前、吉川経家公像

仕事の前に時間があったので少しだけでも鳥取城を見ようと思い、向かいました。

鳥取県庁から城方向に進むと一気に視界が開けて山が見えます。

これが幾度となく歴史の舞台になった鳥取城です。

吉川経家 鳥取城
吉川経家 鳥取城

その前に「吉川経家公像」はあります。

吉川経家公像 アップ
吉川経家公像 アップ

こちらはアップの画像。

吉川経家公像 説明
吉川経家公像 説明

こちらが「吉川経家公像」の横に設置されていた説明です。

吉川経家は秀吉に安芸(毛利氏の本拠)に戻るようにすすめられたものの、「落城の責任は城将の自分にある」と切腹。

鳥取城のドラマを代表する武将

吉川経家公像
吉川経家公像

経家が子どもたちに送った手紙がありました。

以下引用。

とつとりのこと よるひるニひやく日 こらえ候

ひやうろうつきはて候まま 我らひとり御ようにたち候

おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候 そのしあわせものがたり おきゝあるべく候

かしこ

天正九年十月二十五日 つね家

あちやこ かめしゆ かめ五 とく五

まいる 申し給へ

吉川経家は毛利氏から派遣されて鳥取城を守った武将です。

つまり、鳥取に土着した地元の人間ではない。

それが何百年も経って現代の人によって像が建立される。

それだけ長く鳥取の人に慕われた名将ということですね。

ちなみにこの像が建立されたのは平成5年(1993)年のこと。

まとめ

この像は鳥取城の手前にあるので、城を訪れるときには必ず目にすることになります。

ここで戦国時代に思いをはせるのもいいですね。

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