つい忘れがちですが、手紙だけでやり取りしていた時代は現代とコミュニケーションがかなり違います。
過去と現代のコミュニケーションの違い
現代は海外で起きたニュースもすぐに日本に伝わります。
ときには現地の動画がYouTubeなどにシェアされることもあります。
これは国内の事件でも同じです。
ところが手紙でしかやり取りできない時代はそうではありませんでした。
戦国時代だと大名がほかの大名に書状を送ろうと思うと、書記官である右筆に書かせ、使者に預け相手先まで届ける必要がありました。
このあたりは『戦国のコミュニケーション』という本が詳しいです。
場合によっては書状が届かないこともありえますし、万が一敵方に使者が捕らえられ中身を見られる危険性もあります。
そういった場合に備えて書状には簡単な用件だけ書いて詳しくは使者が口頭で伝えるということもありました。
猶 石 田 治部 少 輔 可 申 候 也
という具合です。
これは島津家からの書状に対する豊臣秀吉からの返信で、石田三成が詳しい内容を話すというものです。
大名同士の外交や兵をどこに送るか、など重要な秘密ですから漏らすわけにはいきませんからね。
各地を行き来していても不自然ではない僧侶などに書状を預けることもあったようです。
そういったやり取りなので行き違いもあるし、期限までに書状が届かず見切り発車で行動することもありえますよね。
限定された情報でやり取り

現代ではネットにつながっていればメッセージをほぼリアルタイムにコミュニケーションが取れますし、電話やビデオチャットもできます。
当時の書状は当事者がわかればいいので後世では一読しただけでは内容がよく理解できないこともあります。
そもそも戦国時代の書状は月日だけしか書いていないことが多いのでどの年に出したものかわからないことがあります。
そういう場合は内容や、出てくる人物の役職、名称などからいつの年に出されたものか推測することになります。
重要な文書などは数日日付けが違うだけでまったく意味合いが異なりますし、年単位で違えば歴史が変わってきます。
つい現代の支店から見るとどうしてこの判断になるのかわからないことがありますが、コミュニケーションの速度という点から考えるとよく理解できます。
まとめ
現代では即座にやり取りができるので、わかってはいても歴史上の出来事にもその思考を当てはめてしまいがちです。
当時は現代の首脳会談のようなこともほぼなかったので判断は本当に難しかったと思います。
ドラマや本を読むときにこういうことが頭にあるとまた違って見えるかもしれません。