江戸幕府の老中の立ち位置について

考えたこと

江戸幕府の最高の役職は老中ですが、その性格について考えてみました。

老中の性格について

江戸幕府の権力者といえば、将軍をのぞけば老中ということになります。

(臨時として大老が置かれた)

この老中、就任できるのは古くから徳川家に仕えた譜代大名だけで、その多くは数万石程度の大名でした。

国持大名など外様大名は老中になることはありませんでした(ごく稀な例外はあり)

このことによって外様大名は石高は高いが、政治の権力はなかったと教科書に書かれることが多いです。

ただ、政治の雑務を担当しない=免除されることは、ある種の優遇であり、

これは外様大名はもともと豊臣政権下では家康と同じ大名であるという、いわば「客分」であったからです。

「老中」というのは将軍が自分の手足のように使う家臣であって、「お客様」である外様大名に担当させることは憚られたのでしょう。

徳川一族である親藩大名が老中に就くことがなかったのも同様の理由でしょう。

譜代大名でも大身の大名は老中などを担当することなく、要衝の城を預かり軍勢を率いることが仕事でした。

譜代筆頭の井伊家は家格的に老中になることはなく、政権に加わる時は「大老」として参与していました。

もっとも幕府が安定し、老中が将軍の側近から全国政治の担当者へと性格を変えていくことで、「老中」に就任し政治を担当することを大名が望むようになります。

まとめ

ふだん私たちがイメージする江戸時代というのはかなり後期に入る時期です。

江戸時代は260年以上も続いたので時期によってだいぶカラーが異なります。

幕府の制度も同じではないかと考えます。