日記に世の中の出来事を書く意味はあるのか

考えたこと

個人の日記に世の中、社会の流れを書く意味があるのか考えました。

日記に書くこと

これまでEvernoteに書いていた日記をGoogleドキュメントに移行してから約1ヶ月。

この形で日記を書くのもだいぶ慣れてきました。

Googleドキュメントに変えてから1つのファイルに書き足していく形式にしたので1日あたりの文章量が増えています。

それは多少ですが、世の中の動きを書くようになったのが大きいかも。

これまではライフログ、行動記録的面が大きかったのでほとんど世の中のことは書いていませんでした。

でも最近思い直し、コロナでどうだったとか、緊急事態宣言でどういうふうだったかなど少し書くようになりました。

ぼくは歴史を勉強するのが好きですが、歴史上の出来事で日記に書いてあるから判明したことってたくさんあるんですよね。

たとえば徳川家康がいつどこで何をしていたか。

家康と会った公家などが日記に残していたからこの日はここにいた、ということがわかるんですね。

ぼくは一般市民なので自分の日記が後々重要な記録になることはなさそうです。

でも、著名人でなくても世の中の流れを日記に書くのは結構いいかもしれないと思うようになりました。

たとえば、家族とテレビを見ていて過去の映像が流れて、「あの時はああだったね」というような会話をしたことはありませんか。

これは自分についても同じでイベントごとなどを日記に書いておくとそれを基点として記憶が蘇るのではないでしょうか。

あとは何がブームだったとか、今ならコロナ禍で自分の生活への影響とか。

ひとつの買い物、お店への訪問でもなぜそうしたのか理由があるはずです。

せっかくデジタルで日記を書いているのでそういうことも書き留めていきたいです。

まとめ

記録というものはただひとつだけあってもあまり面白くありませんが、溜まっていくとどんどん面白さが増していきます。

日記はまさにそう。

いろいろなことを書き込んで自分だけの記録を作りたいです。

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