ブログ「坂本、脱藩中。」のさかもとみきさんと毎月コラボしている書評。
今回は平野啓一郎さんの『ある男』を取り上げます。
毎月連載のコラボ書評
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- 前回のコラボ書評、開高健『夏の闇』
救いのない時代の救済の物語:開高健『夏の闇』【コラボ書評】 | つぶログ書店
男のめんどくささと色気と、絶望と色欲をビー玉に閉じ込めたような名作「夏の闇」開高健 | 坂本、脱藩中。
コラボ書評とは2人のブロガーが同じ本を読み、感想をお互いに書くという内容です。
ぼくはさかもとさんにいろいろ相談をしたり、Twitterで交流をしていました。話の流れで「コラボしたいね」という流れになり、お互いに本好きということもあり書評を書きあうというスタイルになりました。
面白いのは同じ本を読み合っていても、人によってこうも感想が違うのかという点がわかる点です。
特にこのコラボ書評は、男女で本の捉え方が違う点も面白い点だと思います。
- 過去のコラボ書評はこちらから。
毎月連載のコラボ書評まとめ【つぶあんとさかもとみきさんの書評】 | つぶログ

毎月連載さかもとみきさんとのコラボ書評!
今回の本は平野啓一郎『ある男』

今回取り上げる本は平野啓一郎さんの『ある男』です。
あらすじはこちら。
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。 ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
今回はぼくが本を選びました。この本を知ったのは本好きの職場の人が「すごく面白くて、終わるのがもったいないくらい!」といっていたからです。
職場の人がものすごく面白いと言っていたので、平野啓一郎の『ある男』を買ってきた。何気にこの雰囲気の作品を読むのは久しぶりかも。
— つぶあん@つぶログ書店福山 (@ttsubuan) 2018年11月8日
文学らしい内面描写と続きが気になりページを次々とめくってしまう”読ませぶり”はさすがでした!
『ある男』の感想
今回の本は読み終わった時に誰もが自分だったらどうだろうということについて考えているのではないかと思います。
そしてこの作品、文学作品ではありますがあらすじに書いてあるように里枝と結婚した「大祐」は誰かということが物語のキーになっています。
里枝が頼った弁護士城戸はその「大祐だった」人物を“X”と名付けます。
物語のキーである以上、ネタバレは避ける形で感想を書いていきます。
ただ、「大祐」が誰か、という「謎」だけで物語が進め、読者の興味を引っ張る作品ではありません。
いや、気になって夢中で読み進めましたが、そこがなくなればもう読まなくてもいいというタイプの作品ではないということです。
この本のテーマは愛か!

それは本作が「謎」だけではなく、もっと深い、誰にでも自分の身に置き換えて考えたくなるようなことを主題にしているからでしょう。
それはズバリ“愛”。
意図的かどうかはともかく 、言葉で説明された過去は 、過去そのものじゃない 。それが 、真実の過去と異なっていたなら 、その愛は何か間違ったものなのだろうか ?
愛していた人の過去が違ったとしても、その人を愛したという事実は“確実”に存在します。
その過去が“嘘”だったとして、裏切られたとか嘘をつかれたなどとはまた違う「自分がその人の何を愛したのか」という疑問が出てきます。
たしかにその人なのに、その人じゃない。
しかし、それで愛した事実が消えるのかということを考えてしまいます。
だから著者の平野さん自身も「愛がテーマ」と言っているのでしょう。
小説家としてデビューしてから、今年で二十年となりますが、『ある男』は、今僕が感じ、考えていることが、最もよく表現出来た作品になったと思っています。例によって、「私とは何か?」という問いがあり、死生観が掘り下げられていますが、最大のテーマは愛です。
平野さんの今の視点から世界を見る
ぼくは平野作品の熱心な読者ではなかったんですが、本作を読んだことにより他の作品も読んでみたくなりました。
平野さんの著書では最近、『私とは何か』を読んだことがあって、そこに出てくる「分人」という考え方、特にこういう部分が本作のテーマと重なる部分がある。
一人の人間は 、 「分けられない individual」存在ではなく 、複数に 「分けられるdividual」存在である 。だからこそ 、たった一つの 「本当の自分 」 、首尾一貫した 、 「ブレない 」本来の自己などというものは存在しない 。
「愛」とは何か、という部分と「自分」とは誰か、「他人」とは誰か。
そこに明確に線引きできることができるかどうか。
小さいころに漠然と他人と自分の違いとか、世界の涯てとかについて考えたことがあったんですが、そういう疑問を言語化し、文章として、作品としてまとめることができるのが作家という職業だと思っています。
ぼくは普段本を読むことの面白さの一つを「視点を得る」ことだと言っています。
そういう意味でいうと、本作は平野さんの今見ている“いまの視点”から日本を、そして世界を見ることができる作品と言えるのかもしれません。
まとめ
“X”は誰か。
その一点だけでもものすごく面白く、物語の筋を追いかけているだけでも本作を十分に楽しめます。
そこから一段上乗せして、読者に対して問いかけをしている本ではないかと思います。
ずっと自分の中に残り続ける「問い」を残していく、そういう読書体験をすることができました。
さかもとさんの書評はこちら
この作品は結構男女で捉え方が違うかも。