ポップミュージックの世界では「アルバム」を中心として世界が展開してきました。「アルバム」自体はなくなっていませんが、表現の枠組みは時代によって変化しています。
かつてあった「アルバム」の時代
Youtubeやストリーミングサービスが普及してきて結構経ちました。
これまでの音楽は割と「アルバム」の時代であった気がしています。
もちろんカセットテープやMD、CD-Rなど自分なりのテープを作ることができましたが、好きなアーティストを聴く単位はアルバムであったように思います。
たとえば私は好きなビートルズは初期はカバーとオリジナル曲が半々くらいのバランスでしたが、次第にオリジナル曲の比重が増えていきました。
そして中期からは完全にオリジナル曲で構成されたアルバムを出すようになり、アルバムごとに違う音楽にチャレンジするようになりました。
ビートルズを中心とするバンドたちが中心となってアルバム中心の時代に突入していきました。
アルバム=ヒット曲とその他の曲の集まり、という構成から、アルバム=アーティストの表現する一番基本的な作品という風に変化しました。
もちろん、アルバムを作品集にするということはビートルズの発明ではありません。ボブ・ディランもいたし、フィル・スペクターもいました。
時代によって表現の単位は変わる
ぼくが音楽を聴くようになったころはすでにCD時代だったので、この「アルバム」という単位がわかりにくくなっていました。
日本のアーティストは普通にアルバム単位で聴いていましたが、レコード時代のアーティストは基本的に収録時間が短いのでたくさんボーナストラックが追加されたり、2in1になっていたりして「アルバム」という単位が見えにくくなっていました。
レコードを聴くようになってから何年かぶりにアルバムという単位を気にするようになった。もっといえばA面とB面。ZeppelinでもCD時代はなんでこの曲こんな真ん中に入っているんだろうってことがあったけど、両面の構成なんだな。プレイリストもいいが、アルバムという単位も大事にしたい。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年6月12日
レッド・ツェッペリンⅣでは天国の階段(Stairway to Heaven)が4曲目に収録されていて、次にミスティ・マウンテン・ホップ(Misty Mountain Hop)がいきなり始まります。
ロック初心者のころはどうしてここに天国の階段があるのかと思っていましたが、レコードのA面、B面の境目だったからなんですね。
ジミー・ペイジもCDなら別の構成にしたかもしれませんが、バンドとしてのひとつの答えがこの曲順だったわけです。
ほかにもローリング・ストーンズの「TATTOO YOU」ではA面がロックサウンド中心、B面がバラードサイドと色分けされていたりもしました。
時代によって表現が変わるのは当たり前なので、このあたりのことは後追いになるほどわかりにくくなります。
いまYoutubeやSpotify、AppleMusicで好みのプレイリストを探せば、さまざまなジャンルでいくらでも見つけることができます。
もちろん自分でつくることも簡単です。
そういう時代といえばそれまでなんですが、「アルバム」という単位で音楽を楽しむのもいいものだと感じています。
まとめ
先日アークティック・モンキーズの新作を尾道レコードで注文して聴いたのですが、好きなアーティストのアルバムを楽しみにする感覚、ツアーでどんな曲をやるのかと予想する楽しみは格別なものがあります。
これからもアーティストの活動の期間やライブの問題などで「アルバム」という単位はなくなることはないと思いますが、シングル、プレイリストという流れは止まることがないように思います。
この状況ってなんだかビートルズが登場する前夜と似ている気がします。
意欲的なアーティストによって今後「アルバム」という単位が復権することはあるのでしょうか。
個人的には密かに期待しています。
いまはかつてほど「アルバム」中心の時代でもないけど、今後アルバムが復権するムーブメントは起こるのだろうか。ビートルズやディランがやったように前提条件が変わるような大胆な試みを期待したい。
— つぶあん@福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年6月12日
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