ブログ「坂本、脱藩中。」のさかもとみきさんと書いているコラボ書評です。
今回は芥川賞も受賞した島本理生さんの『夏の裁断』を取り上げます。
オトコとオンナの本の読み方
この記事は、ブログ「坂本、脱藩中。」のさかもとみきさんと毎月コラボしている書評も今回で13回目。
毎月交代で本を選んで書評を書いています。
月に一回の楽しみ。自分の守備範囲外の本と出会える貴重な機会です。
今回の本は島本理生さんの『夏の裁断』
主人公の萱野千紘は小説家。
ある事情があって夏を実家の鎌倉で過ごすことになります。
鎌倉ですることは“自炊”。
自分で料理をつくるあれではなくて、本を裁断し、データを取り込みスマホやタブレットで読めるようにすることです。
『夏の裁断』って変わったタイトルだなと思ったけれど、冒頭の部分を読んだら腑に落ちました。
あらすじはこちら。
芥川賞候補となった話題作、そしてその後の物語
女性作家の前にあらわれた悪魔のような男。男に翻弄され、やがて破綻を迎えた彼女は、静養のために訪れた鎌倉で本を裁断していく。
この本はアメトーークでピース又吉さんが紹介したことで一気に売れたそう。
又吉さんのおすすめする本をザーッと見た感じではたしかに又吉さんが好きそうな感じのテイストの作品だと思います。
全体の感想
この本、長編ではなく表題作は芥川賞の候補になっているくらいだから短編なんですよ。
それに加えて、書き下ろしで3編加わっているという構成。
一つひとつの作品の長さは短いので、本自体も薄いくらいの感じですが、読むのに結構時間がかかりました。
収録されているのは以下の作品。
- 夏の裁断
- 秋の通り雨
- 冬の沈黙
- 春の結論
短いから読むのが早く読めてもいいはずなんですが、純文学の描写になれず結構時間がかかりました。
久しぶりの純文学だということもあるのかもしれません。
自分に置き換えてみたときに
私は、優しい。それは怖いからだ。傷つけられるのが。そして見ないふりをする。
この本では主人公千紘を巡って何人かの男性が登場します。
なんかもう、自分とは違う世界に生きている人の話で現実感やひどい人だ、と思う前にあまり入り込めない自分がいました。
おそらく、「本を裁断する」というのもメタファーでなにか重要な意味があるのかもしれません。
読んでいて気分がスッキリするタイプの作品でなくて、どちらかというとダウナーな読み味の作品。
時系列もいわゆる「順撮り」のように進行していくのではなく、現在と過去が行ったり来たりして、たまにどっちかわからなくなるときも。
そういう現実と妄想、いろいろなものが混ぜこぜになるような感じは現実を「萱野千紘」という人物のカメラを通して撮ったものの「撮って出し」なんだと思います。
だから合う人にはとことん合うし、ハマらない人にはハマらない。
ぼくはあまりいい読み手ではないので、的確なことをいうことはできないんだけどそういうことをこの本を読んで感じました。
読んでいて独特の「苦味」がある作品。
その「苦味」はたぶん人生を過ごしていく上での「苦味」であって、ああぼくは人生を送っていく上でこういう部分を苦手としているんだなあ、という感覚を味わいました。
それはたぶん「人を書く(描く)」ということでもあるし、作品のテーマにも触れる部分でもあるんでしょう。
おそらく、この本を読んで主人公を巡る人たちについて感想を持たない人はいないのでしょう。
ぼくがこの本を読んで印象に残ったのは、読んでいるときのダウナーな感覚です。
映画で日常が壊れていくような、淡い描写の映画ってあるじゃないですか、そういう感じです。
あとがき
前回の『ミライミライ』もなかなかでしたが、今回の『夏の裁断』も難敵でした。
ただ嫌な感じではないです。
世界のことをこういう視点で見ている人がいるというのは、とても面白いことだと思います。
ヘビーはヘビーなんだけど、独特の「軽み」もあります。
この夏はたまにこの本のことが頭に思い浮かんでくるかもしれません。
さかもとさんの書評はこちら。
うわ〜なるほど、女性が読むとこう感じるのか!という発見がありました。この作品のようなヒリヒリする感覚ってしばらく味わっていないな、と思いました。