ふと、何千年も前の本がふつうに読めることはすごいことだと実感しました。
古典を読む面白さとは
世界中に“古典”と呼ばれる本があります。
ぼくが最近よく読んでいる『論語』にしても成立にかんして、いろいろな説があるもの、ベース部分は何千年も経っていることは間違いありません。
新しく研究したり、自分の考えをまとめ「新作」の本を書くというのは、とても大切な取り組みです。
でも、100年、200年と伝わるような本はごくわずか。
これは”本”よりも歴史の短い映画でも同じです。
たとえば、白黒時代の映画でごくふつうにDVDやネットで見ることができるものは少ないです。
映画は、娯楽として人気があったにもかかわらず、です。
テレビ番組も、現在の目から見るとすごく貴重な素晴らしい番組がテープがないからといって消去されて再利用されていたりということもありますからね。
本が現代に伝わるということ
そう考えると、何百年も前の本がいまに残っている、というのは本当にすごいことだと思いませんか。
時の国から保護を受けられるか、というような要素も絡みますが、いまに残る古典は、過去の人が学び「これは次の世代に伝えよう」と考えたものです。
そして、自分たちも後世の人に素晴らしい本を伝えていく責任があると感じます。
(特別なことではなく、本を“大切する”こと、ですね)
とはいえ、古典は現代人にとっては読みやすい部類の本ではありません。
昔の視点から書かれているし、読むこと自体が大変なものもあります。
そんな時は、ごくやさしい入門書を読んでみるのがおすすめです。
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おわりに
「古典」は言ってみれば、人類の「知のエッセンス」のようなもの。
がっつり学ぶかどうかは別として、ちょっと読んでみて損はありません。
ぼくの今後の課題としては、西洋哲学に苦手意識があるので初心者向けの入門書を調べて読んでみることですね。
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