Twitterでボブ・ディランのことを目にしたので、思ったことを記事にまとめてみました。
ボブ・ディラン=変化自在な人
今回はボブ・ディランについてです。
Twitterを眺めていると、タイムラインにこのツイートが流れてきました。
ボブ・ディラン ナッシュヴィル・スカイライン
⇒https://t.co/smRhWXdHBz— サウンズパル/奄美のCD屋 (@soundspalamami) 2018年3月12日
サウンズパルさんはいつも共感できる面白い記事を書いてくれる奄美のCD屋さんです。
ツイートで紹介されているアルバムはボブ・ディランのアルバムなんですが、あえていうなら異色作ということになるでしょうか。
ボブ・ディラン ナッシュヴィル・スカイライン – 奄美のCD屋サウンズパル
いつもの特徴あるダミ声ではなく、澄んだ声で歌っているのです。この声になったのはタバコを吸うのをやめたからだとか。
ディランという人は変化自在な人で、その時どきによって姿を変えてしまいます。
日本ではノーベル文学賞を受賞したときを中心に、いまだに「フォークの神様」的な報道をされますが、それはあくまでディランの一時代の話。
ロック、カントリー、ゴスペル、ブルースなどジャンルにこだわらず自分の気に入った音楽をする。
唯一のスタイルは「ボブ・ディラン」であるということでしょうか。
私は常々、ディランは超客観的な視点を持っていると思っています。
どういうことでしょうか。
ボブ・ディランは自分がボブ・ディランであるということを誰よりも理解しているということです。
ボブ・ディラン=キャラ
わかりにくいですが、一個人としての「ボブ・ディラン」ではなく、キャラとしての「ボブ・ディラン」を演じ続けているというイメージ。
マーティン・スコセッシが監督をした「No Direction Home」という映画の中で「ボブディランを演じ続けているのは楽じゃないぜ」みたいな発言があった気がするのですが、今手元にないので確認できず。
ボブ・ディランという人は結構人から見られていることを意識してスタイルを変えているのではないでしょうか。
そんなのスターだから当たり前じゃないか、という意見も当然あるでしょう。
でも、ディランは自分のことなのにプロデューサー視点で「ボブ・ディランがこんなことやっちゃう?」みたいなことを考えているのではないかと思います。
音楽評論家の中山康樹さんが指摘していますが、ディランのアルバムのジャケットは素っ気ないものが多い。
「The Freewheelin’ Bob Dylan」みたいにいまだにリスペクトされているジャケットもありますが。
これは計算でしょうか。
音楽自体や、そのキャリアについての態度とはまったく異なるようです。
ボブ・ディランは照れ屋か
最近はそんなことはありませんが、ボブ・ディランを見ていると自分のことを魅力的だとわかっている人が出すオーラを感じます。悪い意味ではなく、もちろんいい意味として。
本当に。意外とサクッと録ったほうがいいのかも。
たぶんディランは優しいけど、それを出すのが苦手なタイプですねw。— つぶあん@本好き福山ブロガー (@ttsubuan) 2018年3月13日
ディランはたぶん優しい人なんだと思います。しかし、それを出すのがすごく苦手なタイプなのでしょう。
デビュー30周年記念コンサートで名だたるロックスターが集まる中、いつになく不機嫌そうな顔をしていましたが、実は嬉しそうでした。
そう、ディランは計算ずくでありながら、とびっきりの照れ屋なんだと思います。
なにかやったあと、チラッと反応を見たりしているのかもしれません。
参考になる記事:ぼくが思うボブ・ディランのすごいところ – くりごはんが嫌い
まとめ
ディランはいまも現役。
ライブでギターを弾かなくなってしばらく経ちましたが、これからも自由なスタイルで行くんでしょうね。
公式ブートレッグをいち早くリリースしたり、新しい音楽に貪欲にチャレンジするなど、いまもトップアーティストの一角です。
そのディランを「照れ屋」という面で見ると面白いかもしれません。
また日本に来ないかな〜と思っています。
photo credit: ser… The Times They Are A-Changin’ via photopin (license)