毎月連載のコラボ書評。
今回のテーマ本は坂口安吾の短編集『白痴・青鬼の褌を洗う女』です。
毎月連載のコラボ書評
このブログでは、ブログ「坂本、脱藩中。」のさかもとみきさんと毎月コラボしている書評を書いています。
前回のコラボ書評は川上未映子さんの『夏物語』でした。
コラボ書評とは2人のブロガーが同じ本を読み、感想をお互いに書くという内容です。
ぼくはさかもとさんにいろいろ相談をしたり、Twitterで交流をしていました。話の流れで「コラボしたいね」という流れになり、お互いに本好きということもあり書評を書きあうというスタイルになりました。
面白いのは同じ本を読み合っていても、人によってこうも感想が違うのかという点がわかる点です。
特にこのコラボ書評は、男女で本の捉え方が違う点も面白い点だと思います。
- 過去のコラボ書評はこちらから。
毎月連載のコラボ書評まとめ【つぶあんとさかもとみきさんの書評】 |

今回のコラボ本は坂口安吾『白痴』ほか
今回のテーマ本は坂口安吾の『白痴・青鬼の褌を洗う女』です。

今回本を選んでくれたのはさかもとさんです。
『白痴・青鬼の褌を洗う女』のあらすじ
“戯作者”の精神を激しく新たに生き直し、俗世の贋の価値観に痛烈な風穴をあける坂口安吾の世界。「堕落論」と通底する「白痴」「青鬼の褌を洗う女」等を収録。奔放不羈な精神と鋭い透視に析出された“肉体”の共存――可能性を探る時代の補助線――感性の贅肉をとる力業。
『白痴・青鬼の褌を洗う女』(坂口 安吾,川村 湊):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部
ぼくは坂口安吾を読むのは実はすごく久しぶりなんです。
太宰治は結構熱心に読んだ記憶があるんですが、どういうわけか坂口安吾は「不連続殺人事件」を読んだくらい。
好きとか嫌いではなく、単純にチャンスがなかった感じです。
だから、今回のコラボ書評で坂口安吾が候補に挙がったときに「読みたい!」と思いました。
人生にたったひとつ、狂いのないものがあるとすれば、それは平凡だけである。
「女体」
本作はいくつかの短編が収められた短編集です。
この本の中では「女体」が面白かったです。
毎日生きていると、いろいろ感じることがあり、それはもちろん人間の感情や肉体、欲望に及びます。
でも、これらは大っぴらに語ることは少ないし、感じていても言葉にするのは難しいものです。
「女体」をはじめ、本作に収録された短編を読んで感じたのは、坂口安吾の言語化能力の高さです。
大作家なんだから当たり前といったらそうなんですが、表現、文体、語彙などで人間の感情を見事に切り取っているんですよね。
あらゆる人に夢がある。この現実は如何なる幸福を持ってしても満し得ず、そして夢は束縛の鎖をきって常に無限の天地を駈け狂うものであった。それを許さずに、どうして人が生き得ようか。又、夢すらも持ち得ぬ人を、どうして愛しなつかしむことが出来ようか。
「戦争と一人の女」
次によかったと感じたのは、「戦争と一人の女」、「続戦争と一人の女」の2編です。
この2編の短編は、終戦の直前、空襲下の東京で暮らす一組の男女の考えていることを、それぞれの立場から書いているものです。
野村は戦争中一人の女と住んでいた、夫婦と同じ関係にあったけれども女房ではない。なぜなら、始めからその約束で、どうせ戦争が負けに終わって全てが滅茶々々になるだろう。敗戦の滅茶々々が二人自体のつながりの姿で、家庭的な愛情などというものは二人ながら持っていなかった。
相手がだいたいこうだろう、と考えていてもあえて確認しないし、相手からいうこともない。
そんな男女の感じ方の違いを書いている作品です。
男性側の野村は、戦争で死ぬと思っていたが、生きて終戦を迎えてしまったという考えてもいなかった事態に直面します。
お互いへの感じ方、肉体への思い、そういった感性を言語化したものを男女それぞれで答え合わせのように読める点が面白いと感じました。
この本を読んで感じたこと
いくつかの短編でカギとなっているのは、「肉体」と「欲望」であると感じました。
しかもそれに加えて、戦中戦後が舞台になっている作品も多く、それらの作品からは「死」が日常である
太宰治の作品と似たような雰囲気を感じたのも、戦中戦後すぐのある種特別な雰囲気を作中から感じたからかもしれません。
本書における「肉欲」を書いていながらも、どこか冷めたような印象を受けるました。
遊ぶことと愛することは違うのだ。
まとめ
この短編集に収録されている作品は戦前から戦後すぐにかけて執筆されています。
そんな昔にこんな、ある意味現代に通じるような普遍的な感覚の文学が書かれているということに驚きました。
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さかもとさんはこの本をどう読んだのでしょう。