広島と福山の冷静と情熱のあいだ:主に戦国から江戸時代にかけて

広島城

ぼくの活動の拠点は広島県福山市です。福山市は今年で市政100周年なんですが、全国的な知名度はイマイチ。倉敷、尾道に負けている状況です。福山はいわゆる備後文化圏に属します。今回はそのことについて記事にしてみました。

広島といえば安芸?

広島県が旧国名だと安芸と備後に分かれることは多くの人がご存知でしょう。

安芸といえば毛利元就。

戦国時代に中国地方を席巻し、一国人領主から大大名にまでのし上がりました。

大河ドラマになったのでご存知の方も多いでしょう。

3本の矢の逸話の通り、毛利隆元、小早川隆景、吉川元春の三兄弟が有名です。

毛利隆元の跡を継いだ毛利輝元は事実上の長州藩の藩祖です。

厳島の戦いをはじめとして、戦国時代の華やかな面に彩られているのが安芸です。

備後ってどうなの?

それに比べて、備後は地味ですね。

とうとう毛利家のような覇者は生まれませんでした。

いくつかの流れはありつつも、最終的には毛利家の領土となって戦国時代を終えます。

関ヶ原の戦いを経て、安芸・備後の地にやってきたのが、あの福島正則でした。

福島正則は安芸・備後両国を領し、中国地方の大大名として名を成しましたが、幕府により左遷させられてしまいました。

安芸・備後の江戸時代の枠組みが固まる

福島正則の後に安芸にやってきたのは、紀州の浅野長晟です。浅野家は豊臣家の縁戚として有名ですね。

備後に配されたのは、戦国の放浪武者水野勝成です。

ここに大まかながら、江戸時代の広島県の枠組みが固まったのです。

安芸は一貫して浅野家が治めましたが、備後は水野氏が継嗣がなくお取り潰しになり、松平氏を経て、阿部氏の両国となります。

福島正則についてはもっと書きたい、関ヶ原についても描きたいですが、今回はこの辺りで。

簡単に言ってしまうと、安芸と備後は別の国だったわけです。

今でも微妙に文化圏が違います。

福山は岡山県西部ともつながりを持っています。

スター不在の備後

これまでいろいろと書いてきましたが、備後にはスターが足りません!

毛利元就もいなければ、小早川隆景もいません。

岡山の方だと宇喜多がいるんですがね。

水野勝成はスターとなりうる経歴を持っていると思いますが、まだ全国的な知名度はありません。

織田信長、豊臣秀吉の例を出すまでもなく、歴史はスターによって紡がれる。

地理的な面もありますが、全国区のスター不在が備後の現状を現しています。

チーム広島で連携したい

ここまで書いてきましたが、福山市で仕事をしているぼくとしてはチーム広島として県全体に盛り上がる空気が日必要だと思います。

もちろん、阿部と浅野、殿様は違いますが、仲良く連携できる面はきっとあるはずです。

ちなみに福山藩最後の藩主は浅野家からの養子です。

さらに阿部家は徳川譜代の名門で、老中も輩出しています。

まとめ

ここまでいろいろ書いてきましたが、正直広島がうらやましい(笑)

人口も多いし、楽しいスポットがいろいろあります。

このブログでは福山の魅力を少しでも発信できたらと思います。

そして、広島のブロガーさんともっと交流できたら楽しいですね!

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