AIに仕事を奪われるという雑誌の特集を見かけるようになりました。でも、人間にはできることがたくさんあると感じています。
AIが普及しようとも、人のやることはひとつだけ。
最近書店などでビジネス雑誌のコーナーを見てみると、いわゆる「AI恐怖論」みたいな特集を見かけることが増えてきました。
簡単にいえば、AIの普及によって人間の仕事が不要になるのではないかということです。
AIの知能が人間の脳を超える「シンギュラリティ」についても論じてある本を見ることもあります。
AIとは縁遠い素人の身としては、これは半分正解で、半分間違いだという感覚を持っています。
同じ事は将棋にも言えますね。
佐藤天彦叡王とコンピュータ将棋ソフトPONANZAが対戦する第2期電王戦二番勝負の第2局は、PONANZAが勝利。https://t.co/jQGIE7lzbX
— 日本将棋連盟【公式】 (@shogi_jsa) 2017年5月22日
将棋のプロといえど人間なので、精神的なプレッシャーや体力的な限界があります。
その点、人間とコンピューターでは不利なことは間違いないでしょう。
将棋に限らず、トッププロでもコンピューターに負ける時代は確実にやってきます。
しかし、それは人間の敗北でしょうか。
私はそうではないと考えます。
車が普及しても陸上競技がなくならないように、我々が人間である以上、人同士の戦いによって動かされるドラマを見たいという心理が働くからです。
アナログレコードを好きになって気づいたことですが、不便だからといって、それはものを嫌いになる理由にはならないということです。
アナログレコードは音楽を聴くのには不便ですが、音が好みだったり、音楽としての体験だったり、付随する価値があります。
もちろん、AIに仕事を奪われる職業もあります。
でもそれは、馬車の乗り手がいま職業としてはほとんどいないように人としては適応できる部分です。
まとめ
一見無意味なことに価値があるように、これからの時代は単純作業はどんどんAIに置き換わっていくでしょう。
AIに仕事を奪われたら、代わりの仕事を探せばいい。
「日本悲観論」も同様で、マイナスを前提条件として捉えれば、アイデアはたくさん浮かんできます。
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