毎月連載しているブログ坂本、脱藩中。のさかもとみきさんとのコラボ書評。今回はアガサ・クリスティーの作品を取り上げます。
オトコとオンナのホンノ読ミカタ
毎月お送りしているブログ坂本、脱藩中。のさかもとみきさんとのコラボ書評です。
前回はよしもとばななさんの『鳥たち』を読み合いました。
今回は私つぶあんが選書を担当した本です。
取り上げるのはアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』です。
今回の取り上げた本の概要
アガサ・クリスティといえば言わずとしれたミステリーの女王。
1890年イギリスの人。
エルキュール・ポワロやミス・マープルなどの名探偵を想像したことでも知られます。
#authorlife #AgathaChristie [SCMP] Agatha Christie’s life rivalled immortal mysteries she created https://t.co/oCkLqBv1mF pic.twitter.com/bsgCJl7SAM
— Authorship.me™ Inc. (@authorshipme) 2018年3月13日
日本人には『名探偵コナン』の阿笠博士の由来となったことでも有名でしょう。
さて、今回の作品ですが、名探偵ポワロもミス・マープルも登場しません。
本作はクリスティがメアリ・ウェストマコット名義で1944年に発表した作品です。
主人公はジョーン・スカダモアという1人の女性。
優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダードからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見すえ、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス 320081
殺人も事件も起こらない一見地味な話。
ロマンチック・サスペンスと出版社の早川書房のサイトではカテゴライズされてはいるものの、私の感想はそれとは異なるものでした。
それでは見ていきましょう。

photo credit: Transformer18 First Class via photopin (license)
1人の女性の回想
あらすじにもある通り、本作の大筋はシンプルです。
殺人事件が起こるわけでもなく、1人の女性の回想と独白によって物語は進行していきます。
主人公ジョーンは娘の看病のために、イギリスから中東のバグダードに行きます。
無事、用事をすませイギリスへ戻る途中、駅で休んでいたところ、女学校時代の友人とバッタリ出会います。
そして、友人と別れ帰路に就くうち、途中、レストハウスにて足止めをくらい、時間を持て余したジョーンは自分の人生に思いをはせます。
最愛の夫に恵まれ、子どもたちを愛し、完璧な主婦として何の疑問も持っていなかったジョーン。
わたしはキャリア ・ウ ーマンになろうなんて 、ついぞ考えたこともなく 、妻であり 、母親であることに満足しきって暮らしてきた。
思いをはせるうち、ジョーンは次第にこれまでの出来事の真相に気づき始めます。
このことによって完璧だと思っていたジョーンの人生に少しずつ揺らぎが生じていきます。正確にはこれまで生じていた揺らぎをジョーンが認識するということです。
読者の私たちからすれば、明らかなことなのにジョーンは少しもそれを感じることがなく生きていた。
ジョーンは夫を支え、子どもたちのために心を砕き、心血を注いできたと思っていました。それが誇りでもあった。
しかし、それはジョーンの価値観を家族に強いてきたということでもあるのです。
「お母さまは、あたしたちのために何をしてくださるの? あたしたちにお湯をつかわせてくれるのはお母さまじゃないでしょう?」
読者から見ればあまりにも明らかなことなのに、ジョーンは偶然人生について思いをはせるまで、そのことに気づくことがなかったのです。
人生で一番怖いことはなにか
この本を読んでみて、価値観の“揺らぎ”ほど怖いものはないな、と思いました。自分が立っていて、安定していると思っていた世界が変わってしまうからです。
わたしは良い妻だった、これまで。 いつも夫のことを第一に考えてきた…… 本当にそうだろうか?
その意味でこの小説はホラー小説といってもいいでしょう。
読者はジョーンの回想を読むうち、自分の人生について考えざるをえなくなります。
自分の見ている世界が独りよがりなもので、そんなもの存在しないのではないか、そんな感覚に陥っていきます。
この作品の時代背景や習慣など、現代の日本とは違うことも多いでしょう。
人間関係はどの時代も共通の悩みですし、人にとって一番怖いのは「人」だと聞いたこともあります。
クリスティーはあの当時どうやってここまでの「痛み」を切り取ることができたのでしょうか。
毒親っていう言葉がありますが、ジョーンは虐待などをするわけではありません。子どもに干渉はするもの家事はメイドたちがしています。
外部から見たらいい母親であり、妻でしょう。でも、夫のロドニーも子どもたちも、ある種、諦めにも似た感情を持っている。
それは、ジョーンが1種類の解答しか認めないからではないでしょうか。人生の転機も、子どもの友達も、結婚も、ジョーンの家庭では正解がひとつしかない。
その正解が揺らいだとしたら?
この小説を読んだ読者は自分の人生を顧みずにはいられないでしょう。
見渡す限り遮るものもない沙漠――けれどもわたしはこれまでずっと、小さな箱のような世界で暮らしてきたのだ。

photo credit: d_t_vos Portrait of a Woman via photopin (license)
まとめ
家族や子どもに関しては、究極的には家族ごとに違うものだと感じることがあります。
つまり、それぞれの「家族」に「物語」があるということです。
ジョーンも、夫のロドニーも、ジョーンの子どもたちもそれぞれの「物語」を生きている。
自分が変われば、違う「物語」を編むことも可能ではあります。「物語」の新しい章を始めることは不可能ではない。
その時、ジョーンがどういう選択をしたのか、ぜひこの本を手に取ってたしかめて見てほしいと思います。
発表から数十年が経っていますが、むしろ、現代の日本だからこそ、新しく読むことのできる作品です。
一言。いまも古くなっていない傑作。読むべし。
この小説に私は『春にして君を離れ』という題をつけたーシェークスピアの十四行詩の冒頭の語ー「われ、そなたと春に遠からざる」から取った。この小説がどんなふうなものかは、もちろんわたし自身にはわからない。つまらないかもしれない、書き方がまずく、全然なっていないかもしれない。だが、誠実さと純粋さをもって書いた、本当に書きたいと思うことを書いたのだから、作者としては最高の誇りである。
アガサクリスティ自伝より
さかもとさんの書評
さかもとみきさんの書評はこちら。
女性作家の作品であり、テーマ的なことからさかもとさんがどう読むのか、すごく興味がありました。
ぜひ、読んでみてください。
今回取り上げた作品
『春にして君を離れ』
合わせて読みたい本
アガサ・クリスティーの解説本の中では評価の高い一冊。
『春にして君を離れ』は満点の五つ星!